しばらく塾を休んでいた子が、何とか復活しようと塾に訪ねてくれるのは嬉しい。いろいろ相談にのってあげて、「何とか次は来ることができるか?」くらいのことしか言ってやれないが、こんなひとときは塾の先生をやっていることを幸せに思う。
ただ、本人にとっては当然まだまだ解決しないであろうこうした問題を、すべての面で引き受け、最後までフォローするわけにはいかない。励ましはあくまで励ましであって、立ちなおるのは、結局本人の心がしっかり持ちなおさない限りは無理なことだ。
それに、よくよく考えてみれば、中学生のころから、頭も良くて性格も先生受けするが、一言多い余計なことを言ってしまう私とか。中学生のころから、まわりとうまくやっていけなくて、自分のことは棚に上げるが、つい人の悪いところを徹底追及していまう私の友達(智恵子さん)とか。2人とも、学校に行けなかった時期があったり、クラス全員から総スカンをくらったりしていた時期があったわけで、あまり胸を張ったアドバイスはできない。
せいぜい、自分たちもそんな時期があったが、なんとか乗り切った(耐えた?)ので、君も頑張れよ…と言うくらいです。
いじめられていたとき、総スカンをくらっていたとき、果たして自分は「立ち直った」のか。と考えたとき、実は立ち直った感じは最後までしなかった。よく、霧が晴れたようにすっきりして学校に行けるようになったという話を聞くが、そんな都合よく立ち直ることはできなかった気がする。
養護学校のいじめは、標的が次々と変わり、その陰湿さもとんでもない状態だったから、ある朝「隣の部屋の子が手首を切った」と、聞いたときは、「次は自分の番か」とふるえていた。で、その恐い感情がすっきりと消えたのは、その子たちがその事件で転校(強制退院)していったからであって、こっちの心がすっきりしたためではない。
智恵子さんも半年くらいずつまだらに学校に行けなくなったようだったが、半年ぶりに学校に登校したときも「すっきり」したからではなく、「ただ何となく」だったそうだし、明けていじめが治まったかというと、学校に行かなかったときは、その子たちの「単なる休憩時間」であり、学校再開とともにいじめも再開されたそうな。
その子が、そうしたいじめにあっているかどうかは、こちらの想像にすぎないのだが、もしもそうした目にあっているとすれば、簡単に抜け出せるものではないと思う。私の当時でもすさまじかったが、今はもっともっとすごいという話だ(マスコミから得た情報なので、学校でどれくらいこんなことが行われているかは本当のところはわからないが)。
その子も、ゆっくりゆっくりでよいから、学校も少しずつ行けるようになって、できれば塾にも少しずつもどってきてほしいと願う。まあ、私も高3になるころは、すでに学年3年遅れていたし、智恵子さんも、3年遅れで、その上、高校も中退してしまったが、2人とも、まあまあの位置まで人生もどしたからねえ。ただ、1年留年したり、それが2年めに入ったりすると、さすがにつらいよ(3年めくらいになると、まあどうでもよくなる)。できれば留年せずに、解決するといいなと思う。
そうそうそう言えば、たしか中学生のころは、本人が強い希望を出さない限りは、留年すらできないはず(私はそれで苦労した)。最近はどうなっているのだろう。たとえ1年間休んでしまったとしても、無理やり卒業させられるような法律だった気が…一度調べてみた方がいいかなあ。
まあ、どちらにしても、塾の先生として助けてあげられることには限りはありそうだ。限りはあるが、何とかぎりぎりまで助けてあげたいですね。
もっとも、過去にもそうした例は何個か見てきているのだが、それらすべて真剣に向き合ったわけではなく、結構そこには偏りがあり、私自身の心の傾き方(その子が好きか嫌いかという単純な観点)によって、ずいぶん対応に差があるのも事実だ。結構奥底まで助けた覚えもあるし、ほとんど静観して何もしなかった時期もある。これは反省しないかんのかなあ。塾の先生だと、やはり気楽な立場なだけに、自分の感情で、行動や対応がずいぶん変わってしまう。これはいかんねえ。
光の泉 松田一哉