労働や勤勉さを通じて人格を成長させ、個人の尊厳を打ち立てる。
この「自助の精神」が社会には不可欠である。
ただし、この精神の基本は、
個人的な成功だけを目的とするのではなく、「相互扶助の精神」のはずだ。
しかし、「感動した!」オジサンの構造改革のころから、
国をリードする人たちというか、その時点で社会的立場を確立できている者たちから順に、
他人に頼らず成功する秘訣ばかりを日本国民は追いかけるようになった。
そして、資格、資格、資格と、勤勉よりも才覚が尊ばれる世の中となり、
皆が自分の幸福を夢見て悩み抜く。
悩むことは大切だとか、
自分の力を高める努力は尊いだとか、
○○の教えは素晴らしいだとか、
多くの者が幸福を追い求め画策を続ける。
けれども、「自助の精神」を理解しないままの理想追求にどんな意味があるのか?
もし、それが正道であるなら、
少数の満足と多数の諦めが蔓延する今の日本社会をどう説明するのか?
「自助の精神」を履き違えた者の幸福論など、独裁者の詭弁と大差ない。
東北の震災で出たガレキが、いざ自分の町に運びこまれるとなると、
トラックの前に座りこんででも阻止しようとする必死な姿。
そんな映像が悲しすぎる。 2012/05/31谷澤(-。-)y-゜゜゜