やっと、体調は戻ってきました。まだ寒いので、そのせいもあって、万全の状態を10とすれば7くらいですが、まあ、みなさんに心配かけてしまうほどではないです。
今回、熱はそれほど出なかったのですが、幻覚というか妄想(?)というか、いちばんひどい時期はホントに大変でした。
火曜日だったと記憶しているのですが、たぶんウチの智恵子さんらしき人があらわれ、「今回はさすがにあなたピンチなので、これから頑張っていろいろやるけれど、間に合わなかったら今日で終わりだからごめんね。」と言われたときは、さすがに覚悟いたしました。
こうして助かったのは、そのときいろいろ頑張ってくれたのかなあ…と、あまり霊魂に関しては信じていない私ですが、今回はさすがに仏壇に手を合わせて、奥さんにお礼を言いました。
でも、そのとき、「あと1日の命だよ」と言われたのにも等しかったので、いろいろなことを考えました。みなさんも、自分が「あと1日の命だよ」と言われたら、どんな思いになるか、一度考えてみてほしいと思います。
とりあえず、私がしたのは、まず、家にいる7匹の猫たちを、1匹ずつさがして(ふらふらだったので、結構見つからない)、今までのお礼と、一緒に生きていけないことのお詫びをしました。智恵子さんとの約束で、この猫たちが死ぬまできちんと世話をするということが果たせなさそうだったので、そのお詫びでした。
でもそのあと、びっくりしたのは、次から次へと、「ああ、これもやっていない、あれもやりたかった」といろいろやりたかったことが浮かんできたのでした。
よく考えたら、人生というのは、そんなに永久にあるわけでもない。この前、岐阜でもまあまあ大きな地震がありましたが、いつなんどき、3月11日のような地震が、東海地区に起きるかもしれない…とか、今まで元気であっても、一瞬で人生が終わってしまうことはあるわけで、例えば私の奥さんも、前日まで、元気(とはいっても弱ってはいましたが)で、まさか明日死ぬとは思ってもいなかったわけです。
自分が明日死ぬと宣告されたとき、こんなにやりたかったことがあったのかと気づき、それを実現しようと努力してきたのか考えてみると、ほとんどのことに何もやれていないことがわかって、これも愕然としました。
そんなに後悔するなら、もし生き残れたら、絶対それは成し遂げたいな…と思っていたら、いろいろな偶然も重なって助かることができました。
※ 偶然の例→今回、からだがやたら寒くなり、部屋を暖めてばかりいました。熱はないと思ってそうしていたのですが(実は相当あったとあとでわかりました)、意識がなくなりそうになったとき、ウチの奥さんがよく言っていた「熱があるときは、よく部屋を暖めてからだ全体を熱くしていまう人が多いけれど、それは間違いだよ。むしろ部屋を冷やしたほうが助かる場合もあるんだよ。」ということばと、実際、熱があるときに扇風機使って体を冷やして無理やり熱を下げていた智恵子さんのことを思い出して、暖房を切りました。それから体の変調が急に治まって、ぎりぎり快方に向かったのです(これも感謝しないとだめかなあ)。
こうしてみると、せっかく助かったのだから、残り3年なのか、5年なのか、はたまた10年なのか知らないけれど、大切な時間が残ったのだと思います。この残った時間を、何に使うのか、それは本当に大切なことで、まわりの助言とか、こうしたほうがいいとか、そうしたことばに流されず、自分の意志で決めなくてはいけないのだなあ…すごく当たり前のことなのに、50年も生きて(まだ正確には49です)、はじめてわかったような気がします。
例えば、この光の泉の仕事は確かに忙しく、なんのかんのいって、これほど続くとは思わなかったくらいなのですが、そのひとつの原因として、「すごく忙しい」→「時間の進みぐあいが早く感じる」→「あっというまに20年(そうもいないか)」みたいな感覚があったのかなあ…と思ってみたりしています。その忙しいなか、人生においてやり残したこと、本当にやりたかったこと…なんかを考える余裕もなかったのですが、今回のことで、それがはじめて自分自身のことなんだと実感することができました。
でもね、みなさん。私はそれを50にもなって気づいたけれども、生徒のみなさん、そして光の泉のスタッフ(30代~40代の働き盛り)のみんなには、もっともっと早い時期に、そうしたことを考えてほしいなあと思います。
今日、授業で話をしたのは、先日からよく、授業が終わってから、そのへんで、夜遅くまでおしゃべりしていることが多いらしく、先日その現場をウチのスタッフに見つかった…みたいな事件があったことについて話しました。
それもまあ、中学生くらいの年齢なら、夜遅く出かけられる機会があるのは、塾に出かけるときくらいで、その帰り道に友達とワイワイ話していたい…という気持ちがわからないでもない…みたいなことも本当はあるのですね。
もちろんそれを塾の責任者(一応光の泉の校長だし)が言っちゃいけないし、事故が起きたりする前に、それを未然に防ぐのも、塾の務めだということもわかっています。
でも、それよりも言いたいのは、今日のこの一瞬、このわずかな時間を、何のために使うのか、それをもう一度、原点に返って、考えてみてほしいのです。
これは、自分自身にも言っていることですし、もちろん、生徒のみなさんにも、光の泉のスタッフのみなさんにも問いかけていることなのかなあ…(ちょっとよくわからなくなってきている)。
自分の人生がどれだけ残っていて、そのために、この一瞬に今、何をしておくのか。これから何をして生きていくのか。そんな、本当に当たり前のことに、やっと気づいた…今回のことで、そんなことをあれこれ考えていました(そして今も非常に迷っています)。
光の泉 本校校長 松田 一哉