愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業が深くて、
なほもながらふことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
先日ウチの猫たちが、昔むかし、何十年も前の段ボール箱をひっくり返して、
出てきた本がありました。
それはそれは古い本で、一冊の詩集でした。
大学時代、ずっと手元に置いてあって、
寂しくなると、開いていた本でした。
大学4年のころ、高校時代の同級生から、
SOSの電話がありました。
結婚したとばかり思っていたその娘は、
どうしようもない状態にありました。
どうしていいかわからなかった私は、
とりあえず、そこにあった詩集を、コピーして渡しました。
そしたらその娘は、ひどく怒って、
人をなぐさめるのに、この詩はないでしょ。
もっと考えなさい。と言いました。
それが今日の冒頭に出ている詩です。
そのときの詩が、中原中也の詩で、
そのとき怒った智恵子さんは、
今はもういないけれど、
その智恵子さんへの気持ちと、
その詩は、
あまりにも今、ぴったりすぎるので、
なんだか悲しくなりました。
奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前(せん)より、人には丁寧。
テムポ正しき散歩をなして、
麦稈真田(ばくかんさなだ)を敬虔に編み―
まるでこれでは、玩具(おもちゃ)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に逢へば、につこり致し、
飴売爺々(あめうりぢぢい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、
まぶしくなつたら、日陰に這入り、
そこで地面や草木を見直す。
苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
≪中略≫
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に―
テムポ正しく、握手をしませう。
春日狂想「中原中也」より。
光の泉本校校長 松田 一哉