9月30日(金)、明日は10月1日(土)、高校入試説明会があります。秋の高校入試説明会は、毎年、次の日が第2回岐阜新聞テストの前日に行われます。
最初のころは、この日程も「なぜ前日なの」というクレームもあったのですが、勉強をずっとしている人にとっては、どこでこういった会を開いても同じなので、まあ、この時期でもいいのかなあと思っています。
私がまだ新人だったころは、この会の司会をやれと言われて、さあどうしようという感じでしたが、2年めに副校長になり、「なんか資料がないとしゃべりづらいな」と感じたので、こつこつ書いたものを印刷して配り、それを読みながら話を進めていました。
それがいつしか、「この資料がいるな」「このデータもつけよう」「卒業生のはげましのことばもいるか」「特色化選抜ができたからその対策も」と、資料が増え続けて、今では1冊の本のようになってしまいました。
あまり資料が多いので、それを今年用にリニューアルし、いらなくなった資料を削り、新たにここを増やしたり……とかやっていると、なかなか仕事が終わらずに、家に持ち帰って徹夜したり……というのが、毎年の流れでした。
昨年はそれに関して言えば、あまりいい思い出はありません。よく、ドラマなんかで、仕事一筋の熱血サラリーマンであるお父さんが、仕事を大切にするあまり、病気になった奥さんの死に立ち会えなくて、その息子(または娘)に恨まれる。といった定番のストーリーがありますが、少なくとも私は関係ないだろうと思っていました。
しかし、智恵子さんが亡くなる前の1週間は、ちょうど今の忙しさと同じで、途中からその資料を作ることがすべてのようになり、妥協しない「完全なもの」を作ることに夢中になってしまっていたのです。
その結果、最後の木曜日の休みは、どこにも連れていくことなく(実は連れていってほしいところがあったにもかかわらず)、1日仕事をしてしまいました。
智恵子さんの、微妙な体調の変化にも、実は気づいていたのですが、今まで数々の危機を乗り越えてきた彼女が、まさかこれくらいの変化にダメージを受けているとは思いもよらず、「高をくくって」いたのです。
他の先生とその話になったとき、「今調子悪いから、今度はだめかもしれないなあ」とか言いつつも、「彼女は不死身なんだ」と信じて疑わなかったのです。
だから、最後の1週間のことについては、智恵子さんは怒っているだろうなあ、と、今でもそのことを思い出すたび、辛くなるのです。
おまけに、お葬式の席で、あれこれ携帯で、これとこの資料作っておいて……と指示を出したりしていて、心はショックなのに、なぜか仕事を滞らせることはなかったわけで、ドラマの中の、仕事のことしか考えていない「仕事人間」と、そんなに変わらない自分が、非常に嫌な人間にしか見えないのです。
1年たった(命日は9月27日です)今でも、人生において生きていく意味というのが、1つもなくなってしまったし、まわりのみんなと話をしていても、心の底から面白いなと思うこともなく、ついうつろな目になってしまうのですが……
それなのに、ああそれなのに、この高校入試説明会の資料を作っているときだけは、やはり昨年と同じように、夢中になって作っている私がいて、今回、「この部分は手伝いましょうか」みたいなことを申し出てくれる先生もいたのですが、途中から、そうした声も聞こえなくなるほど集中してしまい、結局、今年も資料は自分で作ってしまいました(もちろん、新しい資料とかを作ってくれた先生、直前のいろいろな準備をしてくれた先生など、年々会が大きくなって、みんなが助けてくれてこの会が成立しているのですが…)。
その資料がほんとうに生徒たちに役に立つかと言えば、資料が多くなり過ぎて、そもそも馬力のある子でないと、この資料は読み切れないのではないかとか…負の部分も目立ってきた資料になりつつあります。
そういったものを作っているときだけ、わずかだけれど生きている感じがするのは、人間として、どこか欠陥があるのでしょうか。これでは智恵子さんも浮かばれないのでしょうか。
今回の高校入試説明会の資料には、そんな思いも混じってしまっています。それが良かったのか悪かったのかはわからないのですが、昨年度より詳しく、完成度が高い資料ができあがりました。来年は、特色化選抜がなくなり、資料としては、来年度は迷いが多いものになりそうなので、純度の高い、迷いが微塵もない、完成度が高いという意味では、今年のこの資料は、「行くところまで行った」資料になっています。
その資料を使って、明日(12時まわったので、実はもう今日のことですが)、午後1時からの開始を、静かに待とうと思っています。
なお、この資料は、光の泉本校と光の泉北校の中3には、全員に全資料を配布し、光の泉のその他の学年には、保護者会で一部の資料をお渡しする予定です。
そんな私を智恵子さんは許してくれるのでしょうか。でもまあ、反省もし、後悔もしてはいますが、結局は仕事に夢中になって……それでほんの少しでも生きていく元気を作り出していけるのなら、ちょっとだけ許してくれるのでないかと、楽観しています(そんなに甘くはないわよと雲の上から言っているかもしれませんが)。
光の泉校長 松田 一哉