日付がそろそろ6月3日に変わりそうです。こんばんは、青木です。
まだ6月2日としてお話させてください。6月2日は何の日でしょう?キタン塾の第2回統一テストの日でした。統一テストというのは、講師にとってはけっこう疲れるんですよ。テスト受ける側ではなくて、受けさせる側なのになぜ疲れるのか?一度テスト監督をしてみたらわかりますよ。
ごめんなさい、本題に入りましょう。6月2日は「本能寺の変」の日なのです。歴史上の出来事で、日付まで周知されていることはあまりありません。蘇我入鹿が殺された日、東大寺の大仏が開眼した日、一の谷の戦いの日、応仁の乱の始まった日、秀吉が関白になった日、吉宗が将軍になった日…、どれもこれも、私は調べなければ日付まではわかりません。わかるのもあります。五・一五事件、二・二六事件、これは日付が事件の名称そのものですからだれでもわかります。あとは、あまりにも有名な事件の場合。赤穂浪士の吉良邸打ち入りは12月14日、桜田門外の変は3月3日、龍馬暗殺は11月15日、そして、広島への原爆投下は8月6日、長崎へのそれは8月9日、終戦は8月15日、東京オリンピック開幕は10月10日。戦争関係の三つ以外でも、いくつか知ってる方がいらっしゃるでしょう。「桜桃忌」や「河童忌」があるくらいですから、太宰や芥川の命日をしっかり覚えているという方もいらっしゃるでしょうね。
またまた、話がそれました。本能寺です。そらしついでに、クイズです。「本能寺の変」のとき、月は出ていたでしょうか?
わりと有名なクイズでして、答えは「出ていなかった」です。
ドラマや映画で見た記憶では出ていたような気がする、という人もいます。その人の記憶に間違いがなければ、ドラマの脚本家のミスです。「敵は本能寺にあり!」と呼号する明智光秀の頭上に満月があると様になるかもしれません。または、明智勢に襲われた信長が槍を持って奮戦する本能寺の伽藍の上に、上弦の月でもかかっていれば一幅の絵になるかもしれません。しかい、この日(正確には6月1日の夜から2日の未明)は、月は出ないのです。理由は、1日から2日にかけてという日付にあります。明治初頭まで使われた「太陰太陽暦」では、月の運行が日付の基準ですから、何月でも、3日は三日月、15日は満月なのです。ということは、1日は新月、つまり天気の良しあしに関わらず月は見えません。
閑話休題。
やはり、信長から始めることになりました。信長が好きか?と聞かれたら「好きです」と答えます。ただ、友達になりたいか?と聞かれたら首をかしげますし、上司になったらどうだ?と問われたら、絶対イヤです。私みたいに、際立った才覚もなく、とことんやり抜く粘りにも欠け、堅実そうでどこか抜けてる、こんな奴は信長さまの部下としては」とうてい勤まらないでしょう。追放されるか、手打ちにされるか、反逆して(そんな勇気はないが)討たれるか、そのへんが落ちでしょう。
ただ、比叡山を焼き討ちにし、長島一向一揆を殲滅させ、石山本願寺と11年も対峙した、宗教的既成勢力との鬼気迫る対決姿勢。地球が球形であることを、引力の法則とともにたちどころに理解した、柔軟な理系的頭脳。楽市楽座や南蛮貿易に代表される、商業および交易重視政策。目的のためなら手段を選ばずに、信玄や謙信への膝を屈した外交。秀吉や光秀など身分に関係のない人材登用。あげていくときりがないのですが、この時代において「際立った才能」などという言葉では表せない「とんでもない天才」だと思います。
信長の残虐残忍さが、血へどが出るくらい嫌いだという方もいらっしゃるようですが、信長という天才を日本の歴史が持たなかったら、この国は、くすんだ面白みのない「アジア的停滞」の最たる国になったような気がしてなりません。
さて、その信長。わが岐阜に居を構え、天下に雄飛していったことは誰でも知っています。岐阜という名前を命名したのも信長です。正確にいうと改名です。井ノ口から岐阜へ。稲葉山城から岐阜城へ。
それまでは、この地は道三に始まる斎藤家の領地。それ以前は、足利幕府の有力守護大名・土岐氏の国でした。その土岐氏に取りいって、下剋上の典型をなしえたのが斎藤道三ですが、道三が初めて、あの山・金華山(当時の稲葉山)の重要性に目を付けたそうです。どう見たって、当時のあの山は重要でしょう。起伏のほとんどない濃尾平野の北端に、まさにここに城を築けよ、ここに築城したらまずどんな武将でも落とせるもんじゃないよ、という場所に忽然と座しています。現に、あの天才信長でさえも、桶狭間で駿河の太守・今川義元を破って天下に名をとどろかせてから、なんと7年もかかって美濃を攻略し、稲葉山城を手に入れています。それぐらい堅固な城だったのです。なぜ、土岐氏は、川手や加納という平地に居を構えて平然としていたのでしょうか。そんな鈍感な一族だったから、道三みたいなよそ者に手玉に取られる結果になったのでしょうね。なんて偉そうに言う資格はありません。我々は、道三・信長の事績を知ってからものを言ってるのですから、何とでも言えます。
その、金華山および岐阜城。10年以上登ってません。ロープウェイで5~6回、自分の足では10回以上登ってますが、最近はとんと…。金華山登山を思い出しながら、次回はの「信長と岐阜城」でいきましょう。ベタすぎる展開ですね…。
今年はホークスが弱いし、ウェブ授業をやらねばならないらしい。ちょっと大変です。まあ、とりあえず、明日の中間テスト対策、長良中の人たちと共にがんばりましょう。 青木でした。